‘ガン宣告された聖徒のために感謝の礼拝をささげました’‘足りない教会?誤解です!’

本当の教会開拓を夢見るバク・ヨンジュ牧師

神様のみ子、イェス・キリストは無視と迫害とあらゆる苦難と十字架の悲惨な死の刑罰をうけた。そして復活によって罪人たちが清い神様へ進める道を開拓してくださった。また信仰でその道に歩み出た者たちを教会として立たせて、みずからその教会のかしらになって、神様の国を開拓した。そんな意味でイェス・キリストは偉大な開拓者である。

この地でキリストに見習って教会を開拓する数多くのキリストのしもべたちがいる。いま十字架の福音として‘建物’ではなく、真の教会開拓を夢見て走り出すバク・ヨンジュ牧師に会って話を聞いてみた。

-幼年時代をどのように過ごしましたか。
“私はガンワンドの火田民(農夫)の息子として生まれました。お父さんはガンワンドのホンチョン出身です。農夫として開拓生活をしていて、チュンチョンの山の奥の田舎に定着して、そこが私の故郷になりました。その当時、山菜をとって、山の動物たちを捕まえて食べて暮らしていました。

いま言うと、‘ウェルビン’ですが、まるで新石器時代の水準の生活でしたよ(笑)”

-信仰生活をするにはとても難しい環境だったんですね。
“村の神寺の文化中で育てられました。村の守護神がありました。そこでたまに祭祀をして、祭祀の捧げものは飢えていた私たちの分でした。お母さんが水を汲んでおいて月に願っていた姿を見ながら育ちました。”

小学校の時、放浪農夫生活

-いつまでその生活をしましたか。
“小学校3年にチュンチョンへ来ました。私がみるには、いえ、実際にある程度は豊かな学生たちが通う都市の学校へ転校しました。その学校に通いながら、冷蔵庫、電話、洗濯機、、そんな単語を始めて聞きました。文化衝撃が大きかったです。”

-エピソードが多かったでしょうね。
“子供たちが私に、‘貴方はどの幼稚園に通った?’と聞くと、私は、‘幼稚園は何?’こんな感じでした。全ての領域でこうでしたので、私が田舎者であることがすぐばれました。ある日私をからかおうと私にマナナをくれたのです。

しかし私はバナナを始めて見たので、どのようにして食べるべきか知りませんでした。それで机の棚に入れておきました。子供たちが、‘なぜ食べないの?’というと、私は、‘いまお腹がいっぱいだよ’と言った記憶があります。”

-教会はどのようにして通うようになりましたか。
“チュンチョンの市内に先に出ていたおじさんを通して通うようになりました。当時私に教会の生活は遊び場以外には何の意味もありませんでした。そしてお母さんがくれる日曜日の献金を、‘だまし取る’こともしました。。幼かったです。”

-本格的な信仰の生活はいつからですか。
“中学校の時、気にいりの女の子が一緒にいこうと誘ってくれたので中学生用集会に参加するため、お祈りの家へ行きました。そこで初めて霊的な体験をして、信仰の驚きを経験しました。その時から本格的な信仰生活が始まりましたが、家、学校、教会、このように3ヵ所だけ通いました。私なりには神様との関係を、私の人生に重要な部分として認識していました。”

お祈りの家での霊的な体験以後の人生の変化

-牧師としての呼びかけはどのように確証しましたか。
“熱心をだして信仰生活をしてみると、自然と牧師になろうと思いました。高校を卒業してすぐ神学校へと入学しました。しかし振り替えて見ると神学校時代の私の人生は、恥ずかしいばかりです。”

-どんなことが恥ずかしかったか聞いてもいいですか。
“自由主義の神学思想に染まっていました。神学生でもお酒とたばこをすると悟った意識を持つ知性人だという空しい思想に賛同していました。そして哲学と社会科学書を読んで、デモにも参加しました。いろんなデモの団体で活動をしました。

週中には政治闘争をして、週末には教会で伝道師として働く二重的な生活をしていました。”

“いま振り返ると私が本当の福音を知らなかったから、真理のみ言葉より屈折した学問を傾いて受け入れて、それがまるで真理であるかのように自己義を立てていたんですね。神様に対して言いながら、神様も、福音も、聖書に対しても本当はしらなかったんです。”

-デモをずっと行っていましたか。
“開拓教会を始めて自然とやめました。ガンワンドの生徒がない山谷にある教会を開拓するようになりましたが、その時からは階級闘争ではなく、牧会成功に励む生活が始まりました。

田舎では牧会成功が不可能に思えて、牧師になってサンチョクへ再び開拓をしました。そして再びチュンチョンで、またも開拓をしました。”

-いまここチュンチョンにはいつ来ましたか。
“2003年に来ました。4番目の開拓をしたんですね。よい条件で建物がいただけました。以前教会から二人が来ましたが、建物だけ持っていれば当然席は満たされて、教会が成長するとの誤った考えを持っていました。

実際に何年ぶりに聖徒数が150人まで増えて教会がいっぱいでした。‘苦労終わり、幸せ始まる’だと思いました。開拓教会の自立成功事例として選ばれたりもしました。”

-そして教会にどんな変化がありましたか。
“増えた聖徒たちを養育させるプログラムが要りました。それで宣教団体で行われている訓練学校に参加して養育プログラムを導入する計画でしたが、そこで予想外の事が起こりました。私が十字架の福音の前で悟って、完全に変わりました。”

成功的な開拓教会, しかし …

-牧師として十字架の福音の前に悟るとは何のことか説明してください。
“聖霊の照明で罪に気付く恵みをいただいたことです。私がどんなに存在的に、‘自己義’と‘自己愛’で固まった罪びとであるかに気付きました。私は、‘自己義’が罪だとは思ってなかったです。青年時代、正義を叫んで民衆運動をしていた姿も、他の人の説教を引用しない私の説教方式に対しての自負心も、神様の前では罪であることに気付いて、私のすべての人生と考えの土台が崩れました。そして十字架だけが唯一の希望であり、この福音だけで十分だという結論に達しました。”

-十字架の福音の以後、牧会に対しての認識の転換が起こったでしょう。
“簡単にいうと私は聖徒たちを‘物乞い’をさせていた牧師でした。聖徒たちを世に送ってお金をたくさん儲けてくるよう祝福する、‘物乞い牧師’だったですね。私はボスだったです。悲惨でした。これ以上牧師を続けられませんでした。本当に神様が望む牧会をしたかったです。それで以前にしてきた生命力のない礼拝形式と行事を全部中断しました。そして十字架の福音を宣布する時間が大幅増えて、礼拝時間が長くなりました。

しかし礼拝時間に負担を感じる聖徒たちが教会を離れるようになりました。いろんな事を考えました。聖徒たちを一時間の礼拝に慣れさせたのかという自責も思い、‘今私が本当に牧会をちゃんとしているのか’という疑問もしました。その後聖徒の数が8人まで減りました。”

-牧会成功に対しての‘完全な死’を経験したんですね。
“はい。牧会だけではなく、総体的に本当に’死‘のような時間を過ごしました。そんな状況で妻が大変苦しんでいて、二人の息子は家出をしました。しかし神様は創世記22章の黙想を通して、アブラハムがイサクをささげたそのモリア山の事件が私にも実在していると気付かせてくださいました。

働きと家庭とすべての環境に対して‘十字架を通過する’という言葉が現実になる時間でした”

‘物乞い牧師’を悔い改めて十字架へ

-その後仕えていた教会にどんな変化がありましたか。
“いままでの何年間、本当の礼拝の回復のために悩みながら多くの紆余曲折と苦しみを経験しました。特に過去牧会成功のために一年に数十人ずつ、まだ準備されてない魂たちにも洗礼を施した罪に対して悔い改める心で、洗礼式をしないで、神様の許しを待っていました。

しかし去年の冬アウトリーチに行ったアオスで牧師がなくて洗礼をうけてなかった現地人に洗礼をお願いされました。その要請を、‘バク・ヨンジュ、貴方はこれから私の名によって洗礼をしてもいい’という神様の許しとしていただきました。

それで今度の復活節に5年ぶりに再び洗礼式がありました。洗礼を受けたいと願っていた聖徒二人が洗礼をうけました。”

-真の礼拝と聖霊の回復が起こっているようで本当に感謝です。
“去年11月には一人の執事さんがガンの宣告をされました。しかし神様はこのことに対しても感謝をささげる心をくださって、日曜日に’ガン判定感謝礼拝‘を捧げました。おかしい話かもしれませんが、恐ろしい病気ではなく、永遠の罪と死から救ってくださったイェス様の十字架の前ですべての聖徒たちが感謝の礼拝をささげる時間でした。真の礼拝と本当の復興が何であるかを経験しています。

神様はすでにキリスト内で充満な教会を立ててくださっているのに、私は教会を何かかけていると大きく誤解していました。”

-本当の復興が何だと思いますか
“教会の復興は結局神様のみ心を分かって行くことだと思います。神様は完全であり、無限であるのでその心を分かれば分かるほど、もっと大きな復興が起こります。今年神様が教会開拓をおっしゃいました。また違う建物を立てろと言うことではなく、教会である私たちが完全に達する人生のすべての領域を開拓しなさいとの意味です。教会開拓のために走りかけます。教会が神様のみ心を知り、そのみ心にあった自分の人生を開拓する時、真の復興が起こるでしょう”

J.S

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