エッセー

第3の区域はない

“あなたたちがもし私がその人であることを信じなかったら自分の罪のうちに死ぬことになる。”(ヨハネ8:24)

キムヨンイ宣教師コラム

この地に栄光を満たされる神様

永遠に変わらない絶対主権者である神様が約束された通りに必ずご自分の栄光をこの地にいっぱいに満たされるのだ。“水が海を覆うように大地は主の栄光の知識で滿たされる。”(ハバクク書2:14)

コラム

アポルルイミ(ἀπόλλυμι), 弟子道のクライマックス

“ἀρνέομαι”(アルネオマイ=自分を捨てる)“αἴρω σταυρός”(アイロ スタウロス=十字架を背負う)“ἀκολουθέω”(アコロルテオ=従順して最後まで神様に従う)、弟子道の頂点である“ἀπόλλυμι”(アポルルイミ=自分の命を失う)

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惠の海にさらに進んで行け

しかし、目に見える聖殿の破壊はイスラエルのアイデンティティを正しく立てる切っ掛けになった。まずは、自分たちが神様の御恵みを受ける資格がないという事実を悟る切っ掛けになった。

エッセー

苦痛の中で捕まる信仰

苦痛の中に立っている時、私たちは神様の摂理を全部理解出来ない。けれども、神様に向かう信仰を見せることは出来る。イエスキリストは私達に神様について証言される。

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“愛を奪われた教会は怪物になる”

サタンの攻撃ポイントは正確である。ずばり、教会の愛を奪って、汚されて、嘲笑うことであるのだ…愛を押し出して、その代わりにあるどんな美しさも、知恵も、どんな方法もそれは偽りであり、無意味だ。

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“教会はイエス・キリストの生命共同体”

教会は散らされた。目に見える状況は絶望的だったが、私達が見るべきの奇跡がある。絶望より深くて大きいものがある。まさにイエス様の生命が変質されずにそのまま現れて、再現出来ている奇跡である。

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“どうせ来る暁、信仰で迎えよう”

出エジプトしたイスラエルの民に賜物として下さった地はカナンだった。ところで、モーセを通じてイスラエルに下った命令は、カナンに住んでいる民族を尽滅せよということだった。

コラム

山の木は凍え死にしない。

自然で育つ木は前もって養分を蓄積して冬支度をする。しかし、人の手になれた果樹園の木は大きく育つのに集中管理されている。そのために、果樹園の木は自然状態の木に必要な肥料を施されるよりは成長のための窒素肥料を施されるのだ。

コラム

原語で読む御言葉の泉

主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、步いても疲れない。(イザヤ40:31)

コラム

私が生きる理由は何だろう?

一時将来を期待される柔道選手だった彼は、実力を認められて国家代表の常備軍候補にまでなりました。そんなある日、受け身の練習で誤ってしまって救急車で病院に運ばれました。

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絶望の底で歌う歌

一番深い暗闇の中で、何も見えない、終わりそうもない絶望のトンネルの中で、すべてが終わったような恐ろしさの中で、本当に勇気のある者だけが叫ぶ獅子吼がある。"私は暁を呼び覚ます!"混沌たる暗闇と迷いの霧と恐れ、疑い、怒り、落胆を壊して主の統治を信じて勇気を出して聖なる戦争を行った神の人であるダビデの叫びだった。

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我の限界が底をついた時、主を見よ

詩篇73篇は神が正しい人に祝福されて悪者を審判するという旧約の明瞭な思想を見せてくれる。誰もが解りやすいことだが問題は目の前の現実はそうではないことにある。

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神に近くにあることが幸いである。

華麗な世間のすべては私にぴったりと合う。でも聖なるというのは無理に合わせようとしても合わないし、言葉自体がすでに負担になる。‘神に近くにある’のが良いのは知ってるけど代価を払うのが怖くて避けたいのが私たちの現実である。

コラム

お寺に行ったら心が安らぎます.

お寺に行った時に心が安らぐあなたの気分のために仏教を選びましたね。‘感じ’。それにあなたの運命を任してもよろしいですか?‘感じ’それは信じても丈夫なものですか?

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神の栄光を拝見する唯一な道

ダマスコに行く道で復活されたイエスに出会ってから倒れたパウロが叫んだ。
“信心の秘められた眞理は確かに偉大です。”(テモテへの手紙一3:16)

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存在的な罪人の最後の絶望

“ わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。”(ローマの信徒への手紙7:24)

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人を変化させる唯一の道

結局、世間を変えようとしたら人を変化させなければならない。人を変化させる道があるだろうか?!存在的にアダムの呪いを受けた罪人を変える唯一な道は生きておられる神の御言葉にある。他の道はない。

コラム

幸せな結婚生活?現実は不幸ですか?

結婚することに決めたに、本当にあめでとうございます。あなたに本当に必要なプレゼントを差し上げたいです。この話を心に受け入れれば、結婚のための準備したことの中で一番大事なことだと思います。

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キリスト人として最高の栄光は何だろう。

神様が堕落した人類に注がれたかった熱望はどんなものだろう?創造前に夢見ておられた神様の原形を回復させるために神様は希望のない罪人の中の一人に過ぎなかったアブラハムに訪られて彼と約束をお結びになられた。

信仰は聞くことから

救われないほど悪い罪人はいない。

つまり罪悪の深さがどんなに深くても、再び帰って来ると神様はかならず受け入れてくださるという、本当に偉大で言葉では表せない感動的な真理がこの比喩には含まれてある。

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キリスト教は神様からの招き

主の公生涯は‘悔い改めなさい’と言うメッセージから始まった。初めから核心を突いた。平凡な人間の感情では、それをそのまま受ける事は難しかった。主の使役はガリラヤでの始めての使役からカルバリーで死ぬまで大胆であり、過激であった。これはキリスト教の始まりだった。

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誰が偽善の危険に置かれるのか。

自分の義、自己愛に落ちこぼれたら危ない。誰よりも熱心で、あえてお言葉を教える立場にいるとしても、十字架の死と復活を経験してない者たちの信心と聖書の知識は、他の人を罪に定める批判になり、偽善の危険に置かれる事になる。

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霊的低体温症の危機で主に戻ろう。

神様に対する初めの愛が冷めたのか?!霊的低体温症の危機に気づいて主に戻ろう。神様の愛から目を離さずに、他でエネルギーを求めないで十字架に向かおう。

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永遠の勝利の福音、十字架のキリスト

初めて福音が宣布される日 そこはエデン園の真ん中でした。エデンはいまだにその美しさと豊かさ、そのものでした。しかし罪を犯したアダムとイブにそこは、これ以上喜びの園ではありませんでした。

コラム

愛は死のように強く…

-ユダイ人が過ぎ越しの祭で朗読する雅歌書で 雅歌 8:6 わたしをあなたの心に置いて印のようにし、あなたの腕に置いて印のようにしてください。愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは火のきらめき、最もはげしい炎です。

キムヨンイ宣教師コラム

神様を誇りましょう!神様の十字架を自慢しよう!

むなしいものを誇らず、むなしいものを求めず、その十字架を自慢しよう。エホバ、永遠なる神様を自慢しろとなさる。神様の栄光である福音を自慢しろとおっしゃる。約束に真実である神様を経験すると、私たちがどうして神