キムヨンイ宣教師コラム

この地に栄光を満たされる神様

永遠に変わらない絶対主権者である神様が約束された通りに必ずご自分の栄光をこの地にいっぱいに満たされるのだ。“水が海を覆うように大地は主の栄光の知識で滿たされる。”(ハバクク書2:14)

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惠の海にさらに進んで行け

しかし、目に見える聖殿の破壊はイスラエルのアイデンティティを正しく立てる切っ掛けになった。まずは、自分たちが神様の御恵みを受ける資格がないという事実を悟る切っ掛けになった。

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“愛を奪われた教会は怪物になる”

サタンの攻撃ポイントは正確である。ずばり、教会の愛を奪って、汚されて、嘲笑うことであるのだ…愛を押し出して、その代わりにあるどんな美しさも、知恵も、どんな方法もそれは偽りであり、無意味だ。

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“教会はイエス・キリストの生命共同体”

教会は散らされた。目に見える状況は絶望的だったが、私達が見るべきの奇跡がある。絶望より深くて大きいものがある。まさにイエス様の生命が変質されずにそのまま現れて、再現出来ている奇跡である。

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“どうせ来る暁、信仰で迎えよう”

出エジプトしたイスラエルの民に賜物として下さった地はカナンだった。ところで、モーセを通じてイスラエルに下った命令は、カナンに住んでいる民族を尽滅せよということだった。

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絶望の底で歌う歌

一番深い暗闇の中で、何も見えない、終わりそうもない絶望のトンネルの中で、すべてが終わったような恐ろしさの中で、本当に勇気のある者だけが叫ぶ獅子吼がある。"私は暁を呼び覚ます!"混沌たる暗闇と迷いの霧と恐れ、疑い、怒り、落胆を壊して主の統治を信じて勇気を出して聖なる戦争を行った神の人であるダビデの叫びだった。

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我の限界が底をついた時、主を見よ

詩篇73篇は神が正しい人に祝福されて悪者を審判するという旧約の明瞭な思想を見せてくれる。誰もが解りやすいことだが問題は目の前の現実はそうではないことにある。

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神に近くにあることが幸いである。

華麗な世間のすべては私にぴったりと合う。でも聖なるというのは無理に合わせようとしても合わないし、言葉自体がすでに負担になる。‘神に近くにある’のが良いのは知ってるけど代価を払うのが怖くて避けたいのが私たちの現実である。

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神の栄光を拝見する唯一な道

ダマスコに行く道で復活されたイエスに出会ってから倒れたパウロが叫んだ。
“信心の秘められた眞理は確かに偉大です。”(テモテへの手紙一3:16)

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存在的な罪人の最後の絶望

“ わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。”(ローマの信徒への手紙7:24)

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人を変化させる唯一の道

結局、世間を変えようとしたら人を変化させなければならない。人を変化させる道があるだろうか?!存在的にアダムの呪いを受けた罪人を変える唯一な道は生きておられる神の御言葉にある。他の道はない。

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キリスト人として最高の栄光は何だろう。

神様が堕落した人類に注がれたかった熱望はどんなものだろう?創造前に夢見ておられた神様の原形を回復させるために神様は希望のない罪人の中の一人に過ぎなかったアブラハムに訪られて彼と約束をお結びになられた。

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キリスト教は神様からの招き

主の公生涯は‘悔い改めなさい’と言うメッセージから始まった。初めから核心を突いた。平凡な人間の感情では、それをそのまま受ける事は難しかった。主の使役はガリラヤでの始めての使役からカルバリーで死ぬまで大胆であり、過激であった。これはキリスト教の始まりだった。

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誰が偽善の危険に置かれるのか。

自分の義、自己愛に落ちこぼれたら危ない。誰よりも熱心で、あえてお言葉を教える立場にいるとしても、十字架の死と復活を経験してない者たちの信心と聖書の知識は、他の人を罪に定める批判になり、偽善の危険に置かれる事になる。

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霊的低体温症の危機で主に戻ろう。

神様に対する初めの愛が冷めたのか?!霊的低体温症の危機に気づいて主に戻ろう。神様の愛から目を離さずに、他でエネルギーを求めないで十字架に向かおう。

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永遠の勝利の福音、十字架のキリスト

初めて福音が宣布される日 そこはエデン園の真ん中でした。エデンはいまだにその美しさと豊かさ、そのものでした。しかし罪を犯したアダムとイブにそこは、これ以上喜びの園ではありませんでした。

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神様を誇りましょう!神様の十字架を自慢しよう!

むなしいものを誇らず、むなしいものを求めず、その十字架を自慢しよう。エホバ、永遠なる神様を自慢しろとなさる。神様の栄光である福音を自慢しろとおっしゃる。約束に真実である神様を経験すると、私たちがどうして神

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約束の地は勇敢な人たちに開いてある。

モーセが死んだ。出エジプトの一世代が過ぎた。野原40年の教訓は単純で明確だった。後戻りはできない。神様を信じる絶対信仰以外には生きるのも、出る道もないことだ。自分は英雄もなくて、経験もない野原の世代と共に、

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ベテルへ上ろう!十字架へ出て行きなさい!

ときに神はヤコブに言われた、‘あなたは立ってベテルに上り、そこに住んで、あなたがさきに兄エサウの顔を避けてのがれる時、あなたに現れた神に祭壇を造りなさい’(創世記35:1) ‘私の人生は旅人の道であり。。険しい年月を送りました。’

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“一番美しい同行”

父よ、あなたが私に賜った人々が、私のいるところに一緒にいるようにしてください。天地が造られる前から私を愛してくださって、私に賜った栄光を、彼らに見させてください。(ヨハネの福音書17:24)

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“主を愛するあなた!その日があります”

もし私たちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、全ての人の中で最も憐れむべき存在となる。(コリント人への第一の手紙15:19)

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“喜びを超えて栄光へ”

愛の主、イェスよ。私の喜びになり、いまは、またも永遠に栄光になり(讃美85) べダニヤの村、ラザロの死は、彼を知っていた人たちに大きな衝撃と悲しみを与えた。それはラザロを愛していて、たまに訪ねていた、特別な方であるイェス様のためにもっともだった。